2017.09.20 Wednesday
上の航空写真はGoogleMapのものなので、最近撮影されたものだと思われます。
国土地理院から引用
これは、だいたい同じ範囲の1949年(昭和24年)の写真。まだ海岸の埋め立てが小規模です。また、震災前の女川駅は、現在より海側にありました。駅の目の前に船着き場がある感じですね。
国土地理院から引用
これは1975年(昭和50年)。海岸が埋め立てられて、やや海が遠くなっています。
国土地理院から引用
これは2011年(平成23年)の震災直後
国土地理院から引用
これは2015年(平成27年)。2015年3月21日に開業した新しい女川駅が写真に写っています。震災前より200m程度無い陸側に移設されています。女川駅の設計は坂茂です。
復興計画の平面図。「女川町まちづくりデザインのあらまし」より引用(画像をクリックすると大きな画像を閲覧できます)
図面の左上に新しい女川駅があり、そこから東南東に向かって道路が延びています。この道は駅から海に向かってなだらかな下り坂になっており、かつ、方角は元旦の日の出の方角だそうです。そのためこの道路からは海がよく見え、初日の出も拝むことができるそうです。
今では、こんなふうに海が見えます。東北の多くの町で白い防潮堤が海の眺めを遮ってしまっていますが、ここでは町から海がよく見えて最高ですね(^^)。女川町復幸祭2016実行委員会のホームページに初日の出の写真が載っています。
この道路だけではなく、他にも町のあちこちから海が見えるように計画されています。
これが断面図。女川町復興まちづくり説明会資料(平成24年7月)から引用(画像をクリックすると大きな画像を閲覧できます)
平面図の右側(海側)の緑地が、断面図のCエリアに該当します。緑地と市街地の境界の道路(国道398号)がL1津波対応の防波堤を兼ねていて、海岸には防波堤を造らない計画です。また駅から緑地にかけての商業地区は断面図のBエリアに該当し、L2津波では被災します。さらに内陸側の住宅地Aエリア(切土造成地)、A'エリア(盛土造成地)は、L2津波より高い住宅地ですね。
このような復興計画の立案に際しては、「日経ビジネス2016年3月14日号」によると、女川商工会会長の高橋正典氏が「町の復興に還暦以上は口を出すな。50歳以上は口を出してもいいが手を出すな」と言ったそうで、実際に還暦以上の人々は様々な分野で身を引き、町長も世代交代したそうです。スゴイ!
続きはまた次回(^^)
位置:景観デザイン事例地図(東北)
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Category:宮城県