2018.11.13 Tuesday

白い線が一本。あれがどのぐらいのスケールなのか、すぐには見当がつきませんが....

大きいんですね。後で分かったんですが、この防潮堤の海側に松林ができる計画で、そうなれば松に隠れて目立たなくなります。

奇跡の一本松が見えます。

気仙川河口には巨大な水門が建設中でした。コンクリートのカーテンウォールが重量感ありますね。

出典:国土地理院
この地域は繰り返し津波の被害を受けていますが、近年の大きな災害をもたらしたものとしては、・1896年(明治29年)明治三陸津波
・1933年(昭和8年)昭和三陸津波
・1960年(昭和35年)チリ地震
・2011年(平成23年)東北地方太平洋沖地震
となります。
上の写真は、1948年(昭和23年)のものなので、昭和三陸津波から15年後ごろですね。陸前高田も空襲を受けているらしいのですが、調べきれていません。写真の中央付近が陸前高田駅です。

出典:国土地理院
1977年(昭和52年)の航空写真では、鉄道付近まで市街化しています。1948年の航空写真との間にチリ地震の津波を経験しているはずです。

出典:チリ地震津波災害復興誌
これが第一線堤、第二線堤の写真で....
出典:チリ地震津波災害復興誌
これが図面です。第一線堤は高さが低くて、第二線堤も4.5m程度なので、松の木よりは低いですね。2011年の津波以前の第一線堤の写真が、美しい地域づくり研究会のfacebookページに掲載されていました。ほとんど砂浜と同じ高さで防波堤というよりコンクリート舗装の道路に見えます。また、第二線堤の写真は、マツ百科事典のホームページに掲載されていました。松林の間を抜けるジョギングコースとして利用されていたようです。
出典:国土地理院
これが2001年の航空写真
出典:国土地理院
そしてこれが、震災直後の2011年4月1日の航空写真です。
出典:国土地理院
これが2015年。復興工事のベルトコンベヤが写っています。
市街地だった場所に行くと、まだまだ復興中でした(写真は2017年のものです)。

一本松まで歩いていく事ができます。

右の建物は被災した陸前高田ユースホステルです。

古川沼はこんな状況でした。

気仙川河口の水門を陸側から見ると、かなりでき上がっていて....

水門計画高 TP+12.50と表示されていました。ゲートも巨大なら、操作室も巨大。

現地の資料館に復興計画がパネル展示されていました。再び第一線堤、第二線堤を造る計画ですが、高さは遥かに高いです。

完成予想図もありました。松が育つのに何十年もかかります。かつての松林は1667年(寛文7年)から植林が始まり、受け継がれてきたものだという事ですので、100年後ぐらいに期待したいですね。
参考文献
・白砂青松の高田松原−津波を防いだ海岸松林(マツ百科事典)
・チリ地震津波災害復興誌(岩手県?)
・古川沼(Wikipedia)
・高田松原(Wikipedia)
・奇跡の一本松(Wikipedia)
・チリ地震津波における防潮林の効果に関する考察(宮城県)
・津波ディジタルライブラリィ(津波ディジタルライブラリィ作成委員会)
位置:景観デザイン事例地図
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Category:岩手県