2008.08.20 Wednesday

美々津(みみつ:宮崎県日向市)は、耳川の河口に位置する古い港町で、江戸時代には高鍋藩の商業港として栄え、参勤交代にも利用されました。今でも歴史的なまちなみが残っています。
また、美々津は明治4年から6年の、わずか2年間の間だけですが、美々津県の県庁所在地だったところです。

美々津は重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されています。
↑写真をクリックするとFlicerにリンクします。大きな写真があります。

「中町」は、商家が並んでいた通りで、今でも江戸時代の建物が残っています。写真の右端の建物は、廻船問屋であった河内屋の建物で、安政2年(1855)に建てられたものです。現在は歴史民俗資料館となっており、美々津のまちなみについての詳しい説明を受けることができます。


基本的には、切妻造で妻入りのようですが、平入りの建物もあります。

軒裏まで漆喰で固めるのが、地元の建築様式らしいです。

虫籠窓(むしこまど)

地元ではバンコと呼ばれる、ばったり床几(しょうぎ)
折りたたみのベンチです。台風の時などには、雨よけとしても機能するのだそうです。

名前を忘れてしまいました。軒を支える部材にも、建物によって様々な意匠が施されています。

格子も美しいですね。

石畳の舗装は最近のものです。ビシャン仕上げとなっています。柳井の伝建地区の石畳はバーナー仕上げで、ちょっと歴史的まちなみに似合っていない感じを受けましたが、ビシャン仕上げのほうが、しっくりきます。

こちらは「上町」。かつての街道筋で、昔は武家の屋敷があったらしいです。現在は明治時代の建物が残されています。電気屋さんの看板にも配慮が見られますね。

間口が狭く奥行きが長い敷地であることが分かります。

この通りは、写真の左側は偶数月が駐車禁止、右側は奇数月が駐車禁止です。まちなみの美しさを守るためのようです。

これは反対側の駐車禁止標識。

標識の裏側やポールは、目立たないように茶色に塗られています。


この地図は右側が北です。東西方向(図の上下方向)に黄色く塗られている場所は、かつて火除地(ひよけち:延焼防止帯)だったところで、当時は広い道路でした。

しかし、なぜか火除地にも古い建物が建っています。写真中央の建物と、左の白い壁の建物の間には路地があり、その路地から写真の右側の路地までが、かつての火除地です。
建物があっては延焼防止にならないはずなんですが....

火除地には共同井戸が設けられています。

美々津で一番古い建物である矢野家(天保4年:1833)も、火除地に建っています。

普通の海鼠壁(なまこかべ)は、平瓦を使い、目地を漆喰で半円形に盛り上げてあるものですが、このあたりの海鼠壁(そう呼んでいいのだろうか?)は、瓦の代わりに自然石が使われています。

こちらは、天保7年(1836)に建てられた、美々津で2番目に古い建物。喫茶店(と呼んでいいの?)として利用されています。上で紹介したバンコを下ろしてありますね。

ここは昔は鍛冶屋さんだったそうです。写真の奥の座敷が道路に面している部屋で、かつては畳敷きではなく、鍛冶屋の仕事場だったということです。

おいしい!

美々津は、神武天皇が東征の際に日向国から船出をした場所と伝えられています。
立磐神社 (たていわ神社)には、神武天皇が船出を待つあいだ腰かけていたという岩が祀られています。

また、天皇のお船が、多くの家の郵便受けに飾られています(^^;)
位置:GoogleMap
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リンク:
日向歴史民俗資料館
必ず立ち寄ることをお勧めします。
美々津(日向市のホームページ)
Category:宮崎県