2013.05.11 Saturday
岡山市を流れる百間川は、旭川の氾濫から岡山市街地を守るために、江戸時代につくられた放水路です。時の藩主池田光政の命により、熊沢蕃山や津田永忠らによってつくられました。上の写真は、旭川から百間川に川が分岐する地点にある「一の荒手」の護岸の一部「亀の甲」です。2つの川を分ける背割り堤の端部にあたります。
亀の甲の上からの写真です。写真の左側の水面が旭川の本流で、増水すると正面のコンクリート面を越えて右側にあふれるようになっています。そこからが百間川です。
「亀の甲」は越流する部分を挟んで2つあります。手前の石積みがもう1つの亀の甲、奥に小さく見えるのが、さきほどの亀の甲です。
「荒手」というのは、越流した水の勢いを削ぐための施設ということらしいです。全部で3つの荒手があったんですが、現在は三の荒手は残っていません。この写真は二の荒手。草が茂っていて全然見えませんが、青い橋のすぐ右下に、橋と平行に石造りの低い堰のような建造物が、川を横断する形で埋まっています。
二の荒手の幅員が100間だったので、百間川というのだそうです。
二の荒手の上を歩いてみると、石が埋まっているのがわかります。こちらの報告書に発掘調査したときの写真があります。
なお、百間川の河口には、巨大なライジングセクタゲートの水門があります。
位置:
より大きな地図で 景観デザイン事例集地図 を表示
Category:岡山県